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神戸地方裁判所姫路支部 昭和35年(わ)470号 判決 1960年11月30日

被告人 上月勇安

昭七・八・一七生 無職

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中二三〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三四年九月二三日午後八時少し前頃、兵庫県多可郡黒田庄村大伏字サイカセ所属二級国道上で、自転車に乗つて北進中のA(当時一九才)を見て劣情を催し、同女を強姦しようと企て、自転車でうしろから同女に追いつき、突然、同女の右肩を突いて、同女を自転車とともに、道路西方の甘藷畑に突き落し、手で同女の首を絞めて、意識を喪失させ、強いて同女を姦淫し、その際、右行為により、同女に対し、入院加療一七日間を要した両眼結膜下出血、頸部および右前胸部皮下出血、左耳出血、処女膜裂創、右肘部擦過傷を負わせたものである。

(証拠)(略)

以上を綜合して認めることができるのであるが、さらに、これを説明すれば、第一に、本件の犯人には目撃者が存在する。すなわち、前記証拠によると、被害者Aは、犯人から肩をつかれた瞬間および犯人が自転車に乗つて北方へ逃げる際に、犯人を目撃し、これと、その直後被害現場附近を自転車に乗つて南進してきた男とが同一人であつて、いずれも被告人であると証言しており、また、石井時雄は、現場附近を北方へ逃げた犯人と、現場の東方道路を南進してきた男と、後に自分が畑瀬橋西詰北方大伏部落入口附近で会つた男とが、同一人であり、やはり被告人であると証言し、高田剛は、犯行直後、現場附近を自転車で南進してきた男は被告人であると思うと証言し、その男の人相風体については、いずれも、半そで丸首のランニングシヤツ、国防色類似のズボン(Aは国防色、石井はカーキ色又は国防色、高田は鼠色と表現)を着用し、頭髪は長髪のバサバサ髪で、背たけの高い男という点において一致している。そして、被告人の居室から押収された検乙9号の作業ズボンが米軍用中古品で色彩において右の各証言と類似しており、かつ、被告人が事件当時半そで丸首のランニングシヤツを着用し、長髪のバサバサ髪であり、その身長が一メートル七二センチメートルであることは、被告人が当公廷において自供するところであつて、右の各証言と合致するのである。これに対し、弁護人は、右三名の証言や供述調書などの信用性を争つているが、前掲の証拠によれば、右三名のうち、石井時雄は、被告人とは部落は違うが、同村、同窓であつて、ともに、消防団員であり、陸上競技をしていたため、従来から、消防訓練、青年団の競技会などで顔を合わせ、面識のあつたところ、本件犯行の夜、三回にわたり、いずれも単車の前照灯の光により、犯人を確認しているのであつて、一回目に会つたとき「見たことのある男」と知り、二回目に会つたときには、同人が喜多部落の上月勇安であることを思い出し、帰宅後西脇警察署石原巡査駐在所へ電話したのち、犯人を捜しに行つて、大伏部落入口附近で三回目に会つたときには、相手と問答を重ねて、同人と犯行現場附近で会つたことを認めさせており、当夜ただちに、前記駐在所へ行つて犯人が被告人である旨を告げていることが認められる。そして、他に、右石井時雄が、ことさらに、虚偽の供述をする理由も認められないから、右石井時雄の証言は、その証明力を争うために弁護人が援用した石井時雄の司法警察員および検察官に対する各供述調書(検甲44、45号)と、供述の細部において若干の不一致があるとしても、その大綱において充分信用できるものということができる。証人藤原久一の証言も石井の証言の信用性を減殺するものではない。また、被告人の逮捕が、石井時雄の通報後約一週間たつた、昭和三四年九月三〇日になされており、相当遅れているが、それは、被害者Aの意識の回復が遅れ、その取調が不能であつたこと、および被告人には妻子があるうえに、よく似た弟があり、同人が、事件当夜、西脇の寄宿先から黒田庄村へ来ていたため、まず同人に嫌疑がかけられたこと(証人須賀光三に対する当裁判所の尋問調書)などから考えると、納得し得るところであつて、石井時雄の証言の信用性が薄弱であるというわけにはいかない。

また、被害者Aおよび高田剛の証言中犯人の識別に関する部分についても、事件当夜は曇天で相当暗く、顔とか色とかは、はつきりとはわからない状態であつたが、近づけば、その輪郭や服装の大体はわかる程度であつたことが認められるから、その信用性を否定することはできないし、特に犯人と犯行直後現場を自転車に乗つて南進してきた男との同一性の識別に関するAの証言は、その直前の生々しい印象のもとになされたものであつて、被害者の当時の精神状態を考慮に入れても、信用できるものと思われる。

次に、強姦致傷事件においては、精液および血痕の血液型の判定が、犯人の同一性を識別するうえにおいて重要な役割をするものであるが、本件においては、のちに説明するように、被害者の性器や着衣に精液ないし精子が附着しておらず、かつ、警察技師信西清人作成の鑑定書(検甲19号)には、被告人の居室から押収した白木綿ステテコ、クリーム色作業ズボン、鼡色毛糸腹巻、白木綿パンツ(検乙8ないし11号)には、いずれも人血が附着しているが、右毛糸腹巻に附着している血液型がA型であることが判明しただけで、他の着衣については、血量不足のため血液型が判明しない旨の記載があり、そして、同技師の鑑定書(検甲23号)によると、被告人の妻の血液型はA型であるということであるから、被害者Aの血液型と同型ということになり、かつ、被告人は、右腹巻の血液は妻の月経血であると弁疎しているので、右資料では、犯人か否かを識別する根拠としがたいといわなければならない。そして、司法巡査須賀光三、同藤原佑造作成の昭和三四年一〇月二日附身体検査調書(同30号)、医師横山元成の同日附鑑定書並びに同人の検察官に対する供述調書(同31、32号)、同人に対する当裁判所の尋問調書によれば、その当時被告人の身体には、(1)左上腕屈側に長さ約五センチメートルの線状傷痕一個、(2)左前腕伸側に長さいずれも三センチメートル以下の線状擦過傷痕三個、(3)左手背拇指根部にN字型幅約〇・一センチメートル長さ約二・五センチメートルのもの、及び長さ約一・五センチメートルの痂皮脱落した傷痕各一個、(4)左下腿外側下端に長さ約三センチメートル縦走した点状の凝血一個あり、(1)(2)の創傷は、先端のとがつたもので表皮を擦過したもの、(3)のうち、拇指根部のN字型の傷は、先の鈍なものでえぐつたようなもの、(4)は掻き傷のようなものであり、いずれも当時ほとんど治癒していたことが認められ、司法警察員の実況見分調書(同9号)によると、犯行現場には、甘藷と雑草とが生えており、ともに約三平方メートルにわたつて押し倒され抵抗の跡があつたのであるから、一応被告人の傷痕は犯行の際自ら受傷したものではないかと思われるが、右受傷の日時について、前記横山の鑑定書及び検察官調書にはいずれも、「同時に約五日前」と記載してあり、同人の証言では、「N字型創傷のみ約一週間前、他は三、四日ないし五日前」と陳述し、犯行日時との関連性において明確を欠いているうえに、被告人は、警察において、「九月十日か十二、三日頃、消防団の非常呼集の際ホース車を挽き出す時にころんで左手拇指のつけ根に傷をし、左下腿外側の傷は蚊にかまれて掻いたものであり他の傷については心当りがない」と供述しており、本件犯行と別の機会に受傷する可能性も考えられないこともないから、この点もまた事実認定の資料とすることは妥当でない。

ところが、押収にかゝる前記のクリーム色作業ズボン(検乙9号)の両膝関節相当部分附近に、暗緑色の汚染が認められ、かつ、被害者Aが本件犯行当時着ていたピンク色ナイロンカツターシヤツ(検乙1号)にも同色の汚染があるので、当裁判所は職権をもつて右両汚染の性質原因の異同について鑑定を命じたのである。その鑑定人常俊定彦作成の鑑定書(裁甲1号)および第一〇回公判調書中の同鑑定人の供述によると、右の両汚染は、同種類のものであつて、甘藷(現場附近に、本件犯行当時栽培されていた植物)と成分的に酷似する植物性葉緑組織がいずれもすれつぶされた状態で固着していることが認められるのである。(なお、鑑定人尾家伸雄作成の鑑定書によつても、右両汚染は、ともに青い葉を持つている、すなわち、葉緑素を持つた植物成分にある程度の力あるいは重力をもつて接触したことによる汚染であるとされている。)

弁護人は、右作業ズボンは、被告人が昭和三四年五月頃、アメリカ駐留軍用の中古品を買つたものであり、かつつ、右汚染は、場所的にみて、被告人の膝関節部にあたらないから、被告人の行為によりできたものでない旨主張するが、第一二回公判期日において、被告人に右作業ズボンを着用させて検証した結果によれば、ひざを曲げて床面につけ、上体を曲げて、前方床上に手をついた姿勢と、ひざを折り、臀部をかゝとに乗せて上体を起し、足の指と膝部で体重を支える姿勢とにおいては、右の汚染部分が、被告人の膝関節部の最も力のかかる部分またはその附近にあたることが認められるから、本件犯行現場において、被告人が右作業ズボンに前記汚染を生じさせることはは、充分に可能であると認められる。

なお、弁護人は、かりに、右汚染が被告人の行為により附着したとしても、被告人の元勤務先糸干場の草引きの際附着したかもしれない旨主張するが、司法警察員作成の実況見分調書(検甲46号)、田中兼治作成の鑑定書(同47号)、鑑定人常俊定彦作成の鑑定書などに照らして、本件のズボンの汚染の附着原因として妥当するものとは認められないから、右の仮設的主張は採用の限りではない。

かように、被害者の着衣特にその背面と被告人のズボンの膝関節部とに同種同様の植物性葉緑成分の汚染があり、しかもそれが犯行現場の状況に合致することは、本件が被告人の犯行であることを推認させる有力な物的証拠であり、前掲の他の証拠とあいまつて有罪の認定をするのである。

(弁護人のその他の主張に対する判断)

弁護人は、被告人が犯人でないことについて、種々の主張をしているので、以下、これについて一応の説明をする。

一、精液の点について

本件においては、全証拠物にも、また、被害者の性器にも、精液ないし精子の附着は認められていない。これについて、弁護人は、「右事実は、被害者Aの処女膜裂創は、犯人が手指を腟内に挿入することにより生じたものであり、被害者は姦淫されていないこと、および、犯行に際して、姦淫を遂げることについて、何の外部的障害の認められない本件においては、犯人は、被告人の如く正常な性的能力を有しているものではなく、これを持たないか、性的に未熟または欠陥を有するものであつて被告人の犯行でないことを物語るものである。」と主張する。しかしながら、医師大石高作成の診断書(検甲6号)によれば、被害者Aの処女膜は、基底部まで破裂し、軽度の腫張と出血とが認められるのであり、このような傷害は、他に特段の事情の認められない本件においては、陰茎を腟内に挿入したことにより生じたものと解するのが相当である。

また、当裁判所の検証調書および司法警察員作成の実況見分調書(検甲9号)によれば、本件犯行現場は、道路のすぐかたわらの甘藷畑であり、しかも、証人Aに対する当裁判所の尋問調書および同人の司法巡査に対する供述調書(検甲4号)によれば、犯人は、その犯行中、乗つてきた自転車を道ばたに立てかけておいたことが認められるのであつて、国道上を往来する車などに発見されるのを恐れて(現に、北方から、石井時雄が単車に乗り犯行現場に向つて進行してきている)姦淫の途中、射精前に、逃げ出すこともあり得ることであるから、弁護人の前記主張は採用できない。

二、犯行現場へ行つた目的、往復の経路、などについて

弁護人は、被告人が、何の目的で、本件犯行現場へ行つたか、その往復の経路はどうか、何故、一度は北方へ逃げながら、その後間もなく、現場附近を南進してきたのか、これらの点について解明されなければ、被告人を犯人と断定できない旨主張しており、これについては、Aおよび石井時雄の証言および当裁判所の検証調書により、被告人は、一旦犯行現場から二級国道を北上し更に引き返えして現場附近国道を南下し、西に曲つて大伏部落に入り村道を山すそ沿いに南下し、畑瀬橋を通つて喜多部落に入る経路をとつたものと認められるほかは、被告人が本件犯行を終始否認しているため、明らかではないが当裁判所の検証調書、証人上月すゑの、藤原ふ志子の各証言によれば、犯行現場から、被告人方へ帰る道程について、(1)畑瀬橋を経由し喜多部落所属県道を通る場合の距離は約三、三九四メートル、(2)同橋を経由し近道の農道を通る場合には約三、二四三メートル、(3)現場から北上し中央橋を経由し前坂部落を通つて喜多部落に至る場合には約三、六九四メートルであつて(3)が最も遠廻りとなつていること、喜多部落民が大伏部落へ往来するには通常畑瀬橋を経由する道筋をとることが認められるうえに、Aの司法巡査に対する供述調書には、同女は平素工場から石原部落の自宅へ帰るには、右前坂部落からかよつて来る友達と一しよに帰るため、喜多部落、前坂部落、中央橋を経由するのであるが、本件当日前坂部落所属県道が修繕中であつたので経路を変更し、加古川西岸の国道を単身通行した旨の記載があるから、被告人が、一旦中央橋に向つて北行したのを引き返えし南下中石井らに出会したので、大伏部落に入りこみ、山すそ沿いの村道を通つて国道に出て来たところを更に石井に出会したものであると推察することもできるのであつて、弁護人主張のように、被告人が犯行現場へ行つた目的や経路の詳細を明らかにしなければ被告人に対して有罪の認定をすることができないものではない。

三、被告人のアリバイについて、

弁護人は、「被告人は本件犯行当夜、煙草を買いに行つた外は外出せず、自宅にいた」旨主張し被告人は、警察官の取調に際し、また、公判廷でも、当夜午後八時頃自宅前で公会堂の踊りのけいこを見たり子守をしている間に会つた人として、西山光子、藤原時子、上月すゑの、藤原みすゑ(これは被告人が自宅の窓越しに同女の姿を見たと供述)などをあげる外、近所の藤原煙草店へ煙草を買いに行つた旨主張しているが、これらの者は、いずれも証人として、右主張事実を否定する証言をしたのみならず、他に証人藤原ふ志子、同村上コヨシは、いずれも、当日午後八時又は八時一〇分頃被告人方の前又は横を通つて公会堂へ行つたが、被告人の姿を見なかつた旨証言し、証人藤原しげは、当日自分はもちろん家人も被告人に煙草を売つた記憶がないと証言しており、被告人の主張をはつきり裏付けるものとしては、わずかに、被告人の兄の妻である証人上月貞子、被告人の妻である同上月房子、右上月貞子の従姉妹である同岡本たね子の各証言のみであるが、同人らの証言は、前掲の各証拠と対照し容易に信用できないのみならず、時間的関連性において不正確なものである。特に、岡本たね子の証言について説明すると、同証人は、その登場の経過からみて、その信用性は薄いものといわなければならない。かりに、事件当夜、岡本たね子がその証言しているように、被告人方前洗場へ洗濯に行き、被告人を見たとしても、その時間的関係から、本件のアリバイにはならないものと思われる。すなわち、本件犯行の時刻は、被害者Aの証言および同人の司法巡査に対する供述調書(検甲4号)によれば、それぞれ午後八時少し前または七時五〇分頃となつており、高田剛の司法巡査に対する供述調書(検甲8号)によれば、同人が、犯行直後現場で被害者と会つて、事情を聞き、二人で現場を出発したのが午後八時五分であり、後者は時計をみて確認したというのであるから、これらを基準に犯行および犯行後の時刻を考察すると、本件犯行の開始された時刻は、早くとも午後七時四五分頃と認定することができ、また、石井時雄が最後に畑瀬橋西詰北方大伏部落入口附近国道で犯人に会つた時刻は、同人が黒田庄村津万井一八七番地の六の自宅から石原巡査駐在所へ電話をかけたのが午後八時一〇分頃(証人岡田千代子に対する尋問調書)であり、それから、同人が単車で自宅から約六三〇メートルへだたつた前記地点へ行つたのであるから、(当裁判所の検証調書、石井時雄の証言)おそくとも午後八時一五分頃と認定することができる。そして、当裁判所の検証調書によると、犯行現場から被告人自宅までの距離は、約三、二四三メートルないし三、六九四メートル、石井時雄が最後に会つた地点からは、約一、四九三メートルないし一、六四四メートルであるから、その自転車による所要時間を考えると、もし、被告人が犯人であるとしたら、自宅に居ることのできない時間は、一応午後七時二五分ないし三〇分頃から午後八時二五分頃までと解することができる。

ところで、証人上月貞子、同上月房子、同上月重孝らの証言によると、当夜、午後七時四五分頃、上月貞子が、夫の重孝を役場の会合に送り出した後、すぐ、被告人自宅前の洗場で洗濯し、続いて、上月房子が同じ場所で洗濯したということになる。そして、その所要時間は、上月貞子においては、三〇分ないし四〇分(この点について、同人の証言によれば、一〇分か一五分と述べているが、右の開始の時刻と証人藤原みすゑ、同村上コヨシ、同藤原時子、同藤原ふ志子らに対する当裁判所の各尋問調書などをあわせ考えると、上月貞子が、さきに、司法巡査に対して述べた三〇分ないし四〇分位と述べた(検甲26号)方が、信頼できるものと思われる。)上月房子において、約一五分(同人の証言)とみるのが相当であろう。そして、岡本たね子が被告人自宅前にきたのは、同人および上月房子の証言によれば、上月房子が洗濯をはじめてからであり、その後にはじめて、被告人が「カミソリを貸してくれ」と言つて外へ出てきたというのであるから、かりに、事件当夜、岡本たね子が被告人に会つたとしても、その時間は、早くて、午後八時二五分頃と思われ、被告人のアリバイとすることはできない。以上いずれの点からみても、弁護人や被告人の主張するアリバイは理由がない。

(前科)

被告人は、社簡易裁判所で、窃盗罪により、昭和二九年一月二七日懲役八月に処せられ、三年間右刑の執行を猶予され、昭和三〇年一二月二三日懲役一年に処せられ、昭和三一年二月一七日、神戸簡易裁判所で、右執行猶予の言渡を取り消され、本件犯行当時いずれも刑の執行を受け終つたものであり、右事実は、検察事務官作成の前科調書(検甲42号)により明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示行為は、刑法第一八一条(第一七七条前段)に該当するところ、被告人には前示前科があるから、有期懲役刑を選択したうえ、同法第五六条第一項、第五七条、第一四条により累犯の加重をし、被告人を主文第一項記載の刑に処し、同法第二一条を適用して、未決勾留中主文第二項記載の日数を右本刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、全部被告人に負担させることとする。

(裁判官 山崎薫 古沢博 緒賀恒雄)

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